ヨハネによる福音書16章25~33節

「これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。」  ヨハネ16:33

序 論)イエス様と弟子たちの地上での別れのとき、十字架にかかられるときが近づいてきました。木曜日(洗足木曜日)の最後の晩餐の席で、イエス様は弟子たちに語り続けられました。

本 論)1.父なる神様のもとに帰られること
    イエス様が、弟子たちと共に地上で歩んでおられる間はいろいろなたとえ話を用いて父なる神様と人間の関係、神の国のことなどを語っておられました。でも、すぐに父なる神様のことをはっきりと語る時が来ると言われます(25)。では、ここで言われる「その日」というのは、いつの日のことを言われているのでしょう。
「その日」は、イエス様が十字架にかかられ、復活された後のことを言われています。この日(木曜日)の翌日、イエス様は、十字架にかかられ死なれます。しかし、イエス様は三日後に復活されて、弟子たちと共に40日間過ごされ、昇天されて父なる神様のもとに帰っていかれます。このことを次のように語っておられます。
「わたしは父から出てこの世にきたが、またこの世を去って、父のみもとに行くのである。」(28節)イエス様は、私たちを罪から救うために、父なる神様のみもとから、人となって地上に来て下さった神の御子であり、復活された後は、神様のもとに帰られることを宣言なさいました。その言葉通り、昇天された後、栄光の座につかれ、聖霊を弟子たちに与えて下さいました。
福音書を読むと、地上でイエス様と共に歩んでいた弟子たちが祈ったという箇所は、一つもありません。イエス様にどのように祈ったらよいのですか、とお尋ねする様子は 書かれていますが(ルカ11章1節 p.106), 弟子たちが自分から進んで祈ったという言葉はないのです。
しかし、「その日」(26)、ペンテコステの日に聖霊が与えられてからは、イエス・キリストのお名前によって、それぞれが父なる神様に祈ることができるようになりました。 もう、それまでのように、よく祈れない弟子たちの代わりにとりなし祈られるのではなく、弟子たちが、直接、神様に祈り求めることができるのだと言われます。事実、弟子たちは、「その日」以来、聖霊を内にいただいて、父なる神様に祈り続けました。それ以降、クリスチャンは2000年間、イエス・キリストの御名によって祈ってきました。
そして、私たちにとって「その日」とは、イエス様を神の御子、私の救い主と信じ、心に受け入れたときです。そのときから、私たちも、弟子たちと同じように主イエスの御名によって、父なる神様に祈ります。
イエス様を信じ、愛する者を父なる神様も愛して下さいます(27)。私たちは父なる神様に信頼して祈り、主イエスに従う歩みの中で、神様との交わりの中で、信仰と愛にお いて、日々、霊的に成長させていただいているのです。

2.父なる神様と共に世に勝たれたこと
         ここまでのイエス様のお言葉を聴いた弟子たちは感激して語ります(29-30)。
イエス様は、「しばらくすれば」(16節、19節)とか、「その日には」(27)と言われたのに、弟子たちは、「今わかりました」(30)、と答えます。イエス様は、そんな彼らに、彼らがイエス様を見捨てて逃げ去ることを予告されました(31-32)。ここで予告された通り、イエス様がユダヤの宗教指導者たちに捕らえられたとき、弟子たちはイエス様を見捨てて逃げ去ります。(マタイ26章56節p.46、マルコ14章50節p.78)  しかし、イエス様は一人でおられるのではなく、どんなときも父なる神様が共におられました。さらにイエス様は「これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。」(32-33節)と言われました。
私たちのすべての、悩み、苦しみ、病、死への恐れは、イエス様がすべてご存知であり、ご自身が経験されたことだからです。
「この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのである。」(へブル人への手紙4章15節 p.347)
イエス様も私たちと同じ肉体を持たれ、貧しさ、飢え、かわきを体験され、人に裏切られ、理解されず、あざけられ、ときには孤独も味わわれました。そして、イエス様は弟子たちに、そして今も私たちに「しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。」(31節)と語られます。
イエス様が言われる「世」は、私たちを悪や不幸に引きずり込む罪や様々な誘惑、そして愛である神様に反抗しようとする力のことです。イエス様は、地上の歩みの中で、どんなときも父なる神様に祈り、聖霊の力により頼んで、「世」に勝たれました。そして、十字架と復活によって、死と悪魔にも打ち勝たれました。
すべてに勝利されたイエス様が、私たちを限りなく、深く、愛して下さり、私たちの霊の戦いを一緒になって戦い、勝利を与えて下さいます。

結論)私たちが、今、生きている現実のこの世には、さまざまな苦しみがあり、悩みがあります。でも、十字架の上で私たちに身代わりとなって罪に対する裁きをことごとく引き受けて下さり、復活して下さったイエス様と共に歩む私たちはいろいろな苦しみや悩みを乗り越える力が与えられます。私たちは、聖書の言葉を通してキリストに教えられ、導かれ、このお方と交わりながら、この世の歩み、地上の歩みを天の御国に至るまで続けていきます。
このヨハネによる福音書を書いた、イエス様の弟子のヨハネは、手紙の中でこう告げています。
「なぜなら、すべて神から生れた者は、世に勝つからである。そして、わたしたちの信仰こそ、世に勝たしめた勝利の力である。 世に勝つ者はだれか。イエスを神の子と信じる者ではないか。」   (ヨハネの第一の手紙5章4-5節 p.380)
たとえ、この世の苦しみや悩みがあったとしてもイエス様を信じ、お頼りする私たちは、聖霊によって世に勝つ力が与えられるのです。

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