牧師紹介

bokusi

日本イエス・キリスト教団
黒磯教会 牧師:辻林和己

自己紹介
「無」への恐怖から

心配性で、不器用、熱しやすく冷めやすい、おまけに意志が弱かった私。でも唯一英語に興味を持つようになってから人生の目標が見えてきて、それに向かって歩き始めた29歳の時、慢性骨髄性白血病と診断されました。それはバットで頭を殴られたような衝撃でした。

私は1962年8月5日に兵庫県西脇市に生まれました。家はごく普通の家庭で、私の信仰心と言えば、家の仏壇に親から言われたときにだけ手を合わせるような感じでした。父親は普段はおとなしく真面目に働く人でしたが、大酒飲みでヘビースモーカー、あんな風になりたくないと心の中でいつも反発していました。週末に父の帰りが遅くなると、「飲酒運転したのではないだろうか」とか「交通事故を起こしたのでは?」と母親や妹といっしょに心配し、家の中の雰囲気が暗くなってしまうことがよくありました。

小学生のとき、スポーツやいくつかの習い事をしましたが、私は「熱しやすく冷めやすい」性格でどれも長続きせず、その上、不器用で音楽も図画工作も苦手。「こんなことで、自分が大人になったとき何かの職業にちゃんと就けるのだろうか」と不安を感じることもありました。

英語教材との出会い

中学1年のとき、クラスの友人が「僕は部活が忙しくて聴けないから…」とラジオの英語講座のテキストをくれて、その講座を聴くようになってから、それまで苦手だった英語に興味が沸き、同時通訳者や言語学者が書いた本を読むようになりました。内向的で小さいことにくよくよする性格でしたが、この教材と出会ったことで、将来は英語を読んだり話したりする仕事に就きたいと思うようになりました。高校2年のとき、「英語を教えてもらえる」という言葉に魅かれてある教会に出入りしたこともありました。しかし、そこでの教えが信じられず、すぐに行かなくなりましたが同じ頃、「倫理・社会」の授業での勉強を通して、キリスト教や仏教や哲学に関心を持つようになり、「真理って何なのかな、神様って本当におられるのかな?」と時々考えるようになりました。

聖書を読まないと

大学の英文科に入学して2ケ月くらいの頃、ラジオの英会話講座の講師として有名な東後勝明先生が講演に来られました。先生は、「英語が話せないのは、ただ努力が足りないからだ!努力次第で何でも出来るし、何にでもなれる。私のラジオ講座を毎日聞いて覚えれば誰でも英語がペラペラになれる!」と自信満々で生徒を激励され、それを聞いた私は「やはり人間、努力が大切なのだな。自分も精一杯努力しよう。」と思い、勉強に励みました(先生は、この後ご家庭の問題やご自身の御病気がきっかけで教会に行かれ、クリスチャンになられたとお聞きしました)。別の先生からは「欧米の文学を理解するには聖書を読まないといけない」と言われ聖書を読み始めましたが、そのときは聖書の内容をなかなか素直に受け入れることができませんでした。

死の恐れの中で

大学卒業後、仕事をしていた29歳の時、体調不良のため病院に行ったところ、慢性骨髄性白血病と診断され、バットで頭を殴られたような衝撃を覚え目の前が真っ暗になりました。すぐに大学病院に入院しましたが、人間の力や努力だけではどうすることもできない現実があることを思い知らされ、そのときから死への恐れが強くなりました。「自分という存在が死んだら全くなくなり、何も残らない。」「無」になってしまうことへの恐れと、今まで自分がやってきたことや学んできたことは無意味だったのではという虚しさに襲われ、病身を悔やむ暗い日々過ごしました。後で聞いたところによると、主治医は「あと3年から5年ぐらいで危ない状態になります」と、家族に告知されていたそうです。

そんなある日、大学時代にに読んだ聖書のことをふと思い出し、病院のベッドの上で聖書を読みました。この時は以前と違い切実な気持ちで、祈りながら読んでいると「悩みの日に私を呼べ。わたしはあなたを助け、あなたはわたしをあがめるであろう。」(詩篇50:15)という言葉が心に響いてきました。「神様、このような試練は私にとってあまりにも厳しすぎます。どうか私を助けて下さい。」と訴え、すがりつくように祈りました。ある時、イエス・キリストの十字架と復活を思い巡らしながら読んでいると「見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいるのである。」(マタイ28:20)という言葉の光が私に入ってきました。キリストが私と共にいて下さると思うと、死への恐れが和らぎ心が落ち着きました。このように聖書の言葉は闘病中の私に慰めと励ましを与え、試練を乗り越える力になったのです。

2年後、幸いにも、骨髄バンクを通して、健康なボランティアの方から骨髄液を提供され、骨髄移植の手術を受けることができました。白血病は治り神様に感謝の祈りをささげ、骨髄液を提供して下さった匿名のボランティア(ドナー)の方にも感謝しました。

信仰生活へ

退院後は自宅で療養生活を送りましたが、早く社会復帰しなければと、仕事のことばかりが気になり、心があせりました。自宅で中高生の学習塾を開いたこともありましたが、次第に聖書とイエス様から心が離れ、別のものに慰めと励ましを求めるようになっていったのです。しかしそうしながらも、本当に自分の求めているものは何なのかと迷いの日々を送った末、神様が私のことを呼んでおられるような気がして教会に行きました。そして牧師の導きで聖書を学び、「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3:16)というみ言葉をいただき、それまで真の神を神とせず偶像を拝んでいた罪を神様の前に悔い改め、イエス様を私の救い主として信じ、2000年、37歳で洗礼を受けイエス様と共に新しい人生を踏み出したのです。

その後教会に通い、教会学校教師として奉仕させていただいている間に、健康も徐々に回復していきました。

身体は弱くても

自分はこのまま学習塾の講師を続けながら、教会の奉仕を自分の出来る範囲でさせていただければ、それでよいと思っていました。しかし、受洗して約3年後、「自分はこのままで本当にいいのか。」という自問が心の内に起り、これからどのような道を行けばよいのか示して下さいと祈るようになり、牧師にも相談して祈っていただいて後、牧師になる道を示されました。「この体の弱い私が牧師として召されるなど・・・そんなはずはない」と恐れの中で祈るうちに「あなたは、わたしに従ってきなさい。」(ヨハネ21:22)とのみ言葉を示され、ただ主にお委ねすることを決心し、それまでの仕事を辞めました。その後、神戸の関西聖書神学校への道が開かれ、3年間の学びを経て卒業。大阪そして2008年に沖縄の教会に遣わされました。

私の生まれ育った関西地方とは違う沖縄の気候や文化、生活習慣に初めは戸惑いを覚えましたが、地域の人たちや周囲の教会の先生方、クリスチャンの方たちに助けていただいて、交わりがだんだん広がり深まっていきました。また結婚は、かつての病気のこともあり、半ば諦めていましたが、神様は同じ神学校を卒業した伴侶(関西出身)を与えてくださいました。沖縄での生活も8年が過ぎ、大好きな地となっていましたが、2016年4月から栃木県那須塩原市にある黒磯教会に異動となりました。暖かい南の島から来たので、寒さがこたえましたが、周囲の方々の温かな励ましと祈りに支えられています。また神様がくださった豊かな自然の恵みの中で癒されながら感謝の日々を送っています。